学なし職なしの私がブログにたどり着いたわけ

こんにちは、やらかし主婦ブロガーのヤタです。

私は現在とある田舎で専業主婦をしながらブログを書いています。

残念ながらここで紹介できるような華々しい経歴は今のところありません。

今はしがない専業主婦で、学歴は大学中退、職歴はバイトとパートだけ。

そんな学歴、職歴なしの私がどうしてブログを始めようと思ったのか、その思いをつづってみようと思います。

目次

田舎育ちがコンプレックス

私が生まれ育ったところはそりゃもう田舎でした。

コンビニもなければ、本屋もない、お店といったら〇〇商店といった地元の人がやっているお店があるだけ。

なんなら陸続きですらない。

島でした。

島中みんなが顔見知り。

悪いことをすれば誰にだって怒られたし、みんなが親という感じ。

学校は一つしかなく、もちろん1クラスのみの小中併設の学校。

それなりに楽しく暮らしてはいましたが、私は外の世界にあこがれていました。

広い世界をみてみたい。

自分の力でなにか成し遂げたい。

私の育った家庭環境

私の家は当時では珍しくもない三世帯同居で、父は漁師、母は専業主婦という周りではごく普通の家庭でした。

父は遠洋漁業の船に乗っていたため、一か月にかえってくるのは1週間程度。

その間は父方の祖父母、母、妹3人との生活。

私は長女で祖父母にとっては初孫だったため、それはもう目に入れても痛くないほどかわいがってもらえました。

おかげで幼少期のほとんどは母といるより祖母につれられて出かけることが多かったです。

そのため幼いころから大人に囲まれて育ったためか、なんとなく大人たちの二面性に気付くようになりました。

「なんでさっきまで一緒に笑ってたのに、いなくなったら悪口いうんだろう?」

大人とは不思議な生きものです。

その後も母と祖母の折り合いが悪かったこともあり、私は場の空気を読むことが得意になっていきました。

余計なことは言わず、食事の時はみんなの笑いそうなエピソードを披露したり。

わざと何も気づかないふりをして明るくふるまっていました。

気づけばうわべだけ

そんな生活を続けているうちに、私は本音を話す機会を失っていきました。

日常生活においても、友達と波風をたてたくない。

けんかになるくらいなら黙っていよう。

誰かがしてほしいことをしてあげて、いってほしいことをいう。

丸く収まるならそれでいいや。

毎日はそれなりに楽しかったし、特に不満があるあけでもありません。

でもこれって本当の私じゃないのでは。

このままずっと誰かのために行動して、本当の自分がどこかへ消えてしまったらどうしよう。

空気を読むだけの生活がこの先もずっと続くことを想像して急に怖くなりました。

変わらないと!

そのためには都会にいかないといけない。自分を誰も知らないところで一からやってみよう。

都会にいけば変われる

当時の私は知らない土地に行けば、生まれ変われるもんだとばかり思っていました。

実際なにをやったわけでもないのに、都会に出たことで早くもなんだか変われたような気がしてしまったのです。

人間環境が変わったくらいで急に別人になるわけないですよね。

案の定私は大学に入学したものの大して友達もつくれず、自分から何かを積極的に始める勇気もないまま、道を踏み外していきました。

当時唯一仲の良かった友達の家に入り浸り、髪を染め、明け方までおしゃべりをして朝起きれず大学をサボる毎日。

もし今の私がそのころの私に会えるのなら教えてやりたい。

「ちゃらちゃらできるのもいまのうちだからな、今から怒涛の人生超ハードモード突入だかんな!!」って。

そうとも知らず、なんのためにここにいるのかわからない…

なんて甘っちょろいことで人生を浪費していたある日のこと。

父の借金が発覚

まさかの父がパチンコで借金をしていることが発覚。

総額7桁の借金でした。

わが家は決して裕福なお金持ち家庭ではありません。

授業料が払えないと実家から連絡が入りました。

私がかろうじて三回生に上がれた5月のことでした。

私は大学を中退しました。

地元に帰るのは嫌だったので、都会に残って働き始めました。

なにものでもないと思い知った

仕事といっても大学中退の一般常識もろくに知らない若者にろくな仕事なんて見つかるはずもなく。

せいぜいバイトで食いつないでいくしかない毎日。

知らない人の中で誰でもできる仕事を淡々とこなす日々。

まるで人間扱いされない職場もあり、都会の生活に心はどんどんすり減っていきました。

倉庫作業とかもう一生したくない。

帰っておいでよの電話

そんなある日、地元に戻っていた幼馴染から久しぶりの電話。

「帰ってきたら?私もいるし」

当時幼馴染は、資格を取って地元から少し離れた町に戻ってきたところで、みんな県外にいてさみしいから私をなんとか呼び寄せようと必死だったのです。

「まだなにもなしとげてない!」

この時私は何者にものにもなってないから帰るわけにいかない!って何度も言って大号泣しました。

なににそんなになりたかったのか、今となっては知る由もなしですが。

結局このことがきっかけで、地元に近い街に戻ることになり人生で初めて挫折というものを味わったのでした。

おだやかな生活

地元の街に帰ってからの毎日が平和なこと。

そんな中でひとつだけものすごく嫌だったのが、仕事の面接。

相変わらず、大学中退の私には正社員の職はなく面接に行っては大学を辞めた理由を聞かれることに嫌気がさしていました。

「父が借金作ってお金がなくなりました」

とは言えない。

「家庭の事情で~」とせいぜい濁すことしかできなかったですね、当時は。

自分のせいじゃないのに自分がちゃらちゃらしていたせいで大学辞めたと思われるのが嫌で嫌でたまりませんでした。

半分は当たってるのに。

接客向きじゃないと都会で嫌というほど思い知った私は事務職につくため、職業訓練に通い始めます。

同年代の友達もできて楽しい毎日。

資格もとったし、また街にでてみようかな~

なんて思っていた矢先のこと。

母の死

母親が末期の悪性リンパ腫だと発覚。

病院と仕事を往復する日々が半年ほど続き、母は亡くなりました。

当時はまだ私の地元では実家で葬式をするのが当たり前で、母も家から送り出しました。

なにがなにやらわからないまま、近所の人に助けられながら父と一通りのことを済ませるとあっという間に1年が過ぎていました。

そして母の死から2年後の正月、今度は祖母が・・・

父の変化

母が亡くなってからというもの、祖父は母が死んだのは父が借金で心配をかけたからだと父を責めるようになりました。

もともと折り合いが悪かった二人の仲は、橋渡しをしていた祖母がいなくなったことで決定的になってしまい、そののち。

父が帰ってこないyo!!

帰ってこない父

母が亡くなり三回忌も終わったころ。

付き合っている人がいると祖父に話したことがきっかけでした。

三回忌終わってもう!?って少し思ったけれど、まぁ父もさみしいだろうし支えが欲しかったんだろうななんて思っていた矢先。

年老いた祖父が普段1人で実家にいるのは心配だから、彼女を家に入れたらどうかと相談したところ、祖父の反対にあい立ち消えになりました。

それっきり父は家に帰らなくなり、彼女と二人しあわせにくらしましたとさ。

ってなるわけない。ちょっと待って。

ねえねえ、じいちゃん一人でどうするの?

あの建てたばっかりのバカでかい墓どうするの?

人生超ハードモード強制突入!!

残された祖父と実家の墓

私の実家は島にあるので、帰るには半日ほどかかります。

フェリーの数も限られているのでほぼ日帰りは無理。

そんな状況で、一人残された祖父を置いて都会に行くことはできない。

一人で暮らす祖父になにかあれば私が一番に駆け付けなければ。

父が帰らなくなったことで、家のことや墓のことを近所の人たちにお世話になることが増えて、身も細る思いでした。

だって父がいたら頼まなくていいこと、近所の人がしてくれてるのに黙ってみてられないよね。

そして気づいてしまった。もう都会にはいけないってことに。

私は母が亡くなった時からうすうす感じていた諦めを、この時はっきり肌で感じました。

私がこの家と祖父を守っていかないと。

父からは当時いくらかの仕送りはされていたので、そのお金でもってなんとか家や墓の維持はしていました。それすらも後々なくなってしまうんだけど。

すべてを丸投げして自分だけ彼女とアヒャヒャなところに逃げた父。

この時の心境を言葉にするなら、もうひたすら「父許すまじ!!」でしたね。

私の心にはこの時から修羅が住み着いてしまいました。

その後

そんな生活が4、5年続いたでしょうか。

祖父は心臓が悪くたびたび病院に運ばれるようになっていました。

さいわい末の妹が結婚して近くにいたので、二人で祖父の入れる施設を探し、なんとか入所までこぎつけ一安心。その後やっと少し落ち着いたので私も結婚をしました。

祖父とバージンロードは歩きました。

二人とも緊張してわけわからなくなりそうだったけどなんとか式をのりきり。

「幸せになれよ」

って泣いてくれた祖父の笑顔が今でも目に焼き付いています。

その祖父も去年亡くなりました。

これから

26歳のとき母が亡くなってから10年ちょっと。

母の代わりに父の手伝いをして、

祖母の代わりに祖父の話し相手になって、

祖父の面倒を見てきました。

母と祖父母の折り合いは悪かったものの、私は3人とも大好きです。

祖父母は私を目に入れても痛くないほどかわいがってくれたし、

母はそんな私が甘やかされてダメにならないように口うるさく育ててくれた。

母が早くに亡くなって、親代わりになってくれた祖父には感謝しかないし、

面倒みるのも全く嫌ではなかったし、ひとり残された祖父が哀れでもありました。

でもやっぱり心のどこかで私は人のために自分の人生を過ごしているって思ってた。

私はもうこの先自分のやりたいことを思いっきりできる日は来ないのかも。

この先も、家族や、家や、墓のことでいろいろ背負って生きていかなきゃならないのかな。

それが宿命なんだろうかってずっと心のどこかで考えてた。

いつも一番ふざけてるけど、長女だからやっぱりいろんなこと気になる。

もう一回やってみよう

それでもまあ祖父が亡くなり1年が過ぎ。

私もこれで家族を送り出すのは3回目になり、だんだんとやるべきこともわかるようになってきて心に余裕が生まれたのか。

自分と向き合う時間ができました。

若くもなく、結婚もして大きく動くこともできない、実家も墓もある。

こんな私ができること。

ろくな職歴も学歴もない私になにができるんだろう。

動けないなら家でできることやったらいいじゃん!

都会に出る前、何者かになりたくて燃えに燃えていたあの時の気持ちを思い出した。

自分のために何か成し遂げたい。

私が思っていることを誰かに伝えたい!

ブログだ!ブログしかない!!

これはもうブログをやるしかない!!!

私はもともと文章を書くのが大好き。

昔はやったmixiなんて夢中になって毎日のように記事更新してました。

懐かしいあの時の書くことが楽しくてたまらい気持ちがわきあがってきて、そしたらもうわくわくがとまらなくなりました。

またやってみよう!別に失うものは毎月のサーバー代だけだし。

時間もある!!一日8時間だってブログにさけるもんね!!

技術はないけどいっちょやってやるぜ!!

てなわけで、このヤタブログを立ち上げた次第です。

勢いとやる気だけで立ち上げた雑記ブログだけど、これから猛勉強しながら大切に育てていきたいと思います。

同じ悩みを持つ人に少しでも笑ってもらえたら。

そしてやるからには稼げるブログに育てます。

稼いだお金でやることはもう決まっています。

つぶれかかってる実家をリフォームする。

叶える気満々のこの誓いを忘れないように、一番でっかいフォントで書いておく。

私がきれいにしてまたみんなが集まれるような場所にしてみせる!

そんなわけで、超個人的理由からブログを立ち上げた次第です。

よかったら単純でやらかしまくりの私がこの先どうなるか成り行きを見守ってやってください。

それではまたブログの中でお会いしましょう。

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